今日仕事納めして実家のある福岡に帰省した。
荷物の整理が終わったし、今年最後のDNということで2012の振り返りでも書こうかな。
■冬 MtG復帰
高校生の頃、エキスパンションで言えばスカージまでやってたけど、枠が変わってデザインがダサいという理由で一回やめたMtG。だけど、あんまり公式大会とか出てなかったし、競技としてもう一回ちゃんとやりたいなーとちょくちょく思っていた。そんな折、同じ大学院の友達がヴァイスにはまってて「お前もやんね?」みたいなこと言ってきて、ヴァイスは全然興味なかったので「マジックやんね?」と逆に誘い返してスタート。
正確には2011年の9月にはMtG復帰してて、安いからという理由で黒緑感染を作り、わくわくのFNMにも何回か顔を出していた。ちなみに復帰して最初の(公式戦の)相手はめそさんで、ケッシグ(どっせい)で、確か夜明けのレインジャーにボコボコにされた記憶がある。
で、研究活動の云々で2~3ヶ月マジックしないで、闇の隆盛発売あたりから本格的に再スタートした。黒白っていう組み合わせが好きだったので、色々カードを買ってトークンデッキを作った。初めてCCCに参加したのもこの頃、以前は参加すらしなかった6回戦のスイスラウンドに初めて挑戦して、4-2で勝ち越せたのが凄くうれしかった。ドラフトをやったのもこの頃で、高校生の頃はやっても2~3人とかだったのでドラフトをやったのも初めてだったので、新鮮だった。0-3だったけど。
冬の間はまだ一緒にマジック始めた大学院生仲間がいたので、基本的には仲間内で4~5人で集まって徹夜でスタンデッキ回したり5ドラしたり、ルール良く分からないまま雑なEDHデッキ作って遊んだりしてた。内向きな遊び方だったけど、今とはまた違う楽しみがあったように思う。
■春 カントクに声をかける
4月になってそれまで一緒に遊んでた仲間が一斉に就職で筑波を去ってしまったので、博士課程に進む自分がマジックをやる機会が減ってしまった。まあ、一人で土浦までチャリ漕いでFNMに参加してたりはしてたけど。
で、偶々さくらにカード漁りに行った時、同じく偶々カード漁りに来ていたなんか作業着姿の坊主頭っぽい人と会った。CCCには出てたし、筑波界隈にどうもマジックで集まるグループがあるらしいことは分かってて、FNM行った時に必ずというほどこの作業着の人は来てて、何かグループが集まるとき中心にいる感じの人っぽそうだったので、声を掛けてみることにした。ちなみにその時危険なマイアが欲しくて、「ドラフトでいっぱい取ったからあげるよ」という会話をしたけど、危険なマイアはまだ貰っていない(もういらないけど)
そこらへんからCCCの定例会にも顔を出すようになっていった。就職組がいなくなったら折角はじめたマジックの機会が無くなるかなーと杞憂してたので、筑波に定期的にプレイできる環境があって本当に良かったと思う。
そういえば、この頃からGP横浜があるということでモダンもやり始めた。エクテンはやっていなかったし、カードプールの広い環境で、自分がマジックやっていなかったときのカードが使えるというのは中々面白かった。エムラクールの怪獣っぷりが好きだったので、緑単「歯と爪」トロンを作り、初めてのPTQなどにも参加した。
■夏 GP横浜からの酒飲みや土浦観光 M13ドラフト修羅の道
GP横浜には上のトロンで、カントクやめそさんらと一緒に参加した。昔やってたときには勿論GPなんて行かなかったから、最初その人の多さに面食らった。1500超ってそんなにマジックプレイヤー集まるのかよ、って感じだった。あと、部活やってたときにも同じようなことあったけど、デカイ大会会場で雑誌とかカバレッジに載る様なビッグプレイヤーを生で見たときにちょっとミーハーな気分を味わったりもした。
1日目が終わって飲み会。MtG勢と酒飲んだことが無かったので、どういう感じで飲むのか分かんなくて、何となく「どちらかといえば大人しい飲み方すんのかなー」と思ってたけどそんなことはなかった。部活引退して2年経ってたけど、久しぶりに「目的を共通とした仲間と遠征して、一暴れ(?)したあと馬鹿騒ぎする」っていうのが出来て凄く楽しかった。
あと、2日目のシールドで欲しくも無かったグヌーヌの才能が開花してしまった。そしてその瞬間をカントクに真後ろから直に見られるというね・・・。あそこらへんから自分のマジックのもう一つの道が始まったように思う。そう、ライブラリとの仁義無き戦いが。あの屈辱は3月の横浜で必ず返す。
GP終わった後も、仕事場から「暑い。溶けそう。 → \3,500?」とかメール送ってくるカントクに誘われて酒飲みに行ったりした。飲み会は大学の研究室でも行くし、そっちももちろん楽しいけど、マジック勢との飲み会はそれとはまた違うノリ・話題が出来て新鮮だった。
8月のノルウェー出張では、8/4の正午にノルウェーから12時間かけて成田に帰ってきて、速攻で家帰ってその足で土浦での飲み会に参加し、さらに二次会(ラ○パ○)さらに三次会まで行くというぶっ飛び具合だった。ここらへんで僕は完全におっさんグループにカテゴライズされてしまいましたorz まだ24なのに。
夏はもう一つ、M13のドラフトをやりまくったというのも大きな思い出。ドラフトが楽しくなって、M13はリミテ初心者がやるのに最適な良セットだということだったので、とにかくやれるだけ数をこなした。結局出張やら免許やらで時間をとられて20回くらいしか出来ず、かつ0-3、1-2で負けまくったけど。でも、やれるだけはやったし、アヴァシンドラフトをやっていた時よりも大分経験を積んで腕は上がったと思う。思いたい。(その割には今でも馬鹿みたいなポカミス、構築ミスするけどね)
ここらへんで僕、カントク、じんちく、めそさん、kitesailの遊び面子が固定され、saishi邸ドラフトが定例化した。
■秋 抹消者さん有難う
ファイレクシアの抹消者/Phyrexian Obliterator
マジックを再開した理由の全て。このカードを見たからこそもう一度本格的にマジックをやろうと思った。そんな一枚。
8月から9月、特に8月の中旬までは、PWPを400まで上げて次のGPの1BYEを獲得するというのを目標に大会に参加していた。デッキは赤黒ゾンビ。春頃からずっと、スタンのデッキは「どういうデッキ構成が抹消者を使うのに一番適しているのか」ということを第一として作ってきた(そして最終的に落ち着いたのが赤黒ゾンビ)。まあ、その頃のレシピを見ると抹消者メインじゃなくてサイドじゃんとか突っ込む余地があるけど、それにも一応理由(言い訳?)はある。
要は「抹消者が場に出て強かったからゲームに勝った」というのが僕は好きで、逆に「場には出たけどあまり強くなくてゲームにも負けて、ほかのカードだったら・・・」という状況になるのが嫌いだ、ということ。あとメインに入れててサイドに抜くというプレイも嫌い。だったら、抹消者が強くなる相手に対してサイドインして、それを叩き付けて最終的に「試合」に勝利するというのが一番スマートでカッコいい使い方なんじゃないかと思った。(まあ、メインで抹消者を軸としたデッキが作れていればよかったけど、そこは自分の構築力の無さがあった。今その試みはレガシーでしている。)
で、そうやってデッキを作っていった結果、PWCであったPTQ、勝ち越しのかかった最終戦で赤緑ケッシグ相手にサイドインした抹消者が無双して勝ったり、福岡のPTQに出て、デルバーメタではなくケッシグや当時のナヤアグロが跋扈してる環境でそれら相手に同じく抹消者が無双して、最終的に自分に400ptを与えてくれた。ああやってゲーム勝ったときほど、復帰してよかったと思ったことはない。
最後にはあかつき杯で黒単ムチムチビートを組んで、好きなだけ暴れさせてから抹消者はスタン落ちしていった。そしてその後すぐにレガシーのデッキを組んだ。今度は抹消者をメインに入れて勝つデッキを作るため。・・・でも未だに公式戦で1勝出来ていない。来年こそはレガシーで勝ちたい。
-----------------------------------------------------------------
今年はこんな感じかな。あとはGP名古屋とかの話もあるけど、それは直近のDNに記録があるから別に改めて書かなくていいや。
何かマジック復帰した最初の1年としては、大分のめり込んだなーという感じ。でもやっぱり経験が少ないし、残念ながら僕はグヌーヌということで戦績的には負け越してしまったのが多い。特にリミテ。
兎にも角にもマジックは勝ってなんぼ!
ということで、来年は今年よりもトーナメント思考で、デカイ大会に積極的に出て勝ちを増やしていきたい。
荷物の整理が終わったし、今年最後のDNということで2012の振り返りでも書こうかな。
■冬 MtG復帰
高校生の頃、エキスパンションで言えばスカージまでやってたけど、枠が変わってデザインがダサいという理由で一回やめたMtG。だけど、あんまり公式大会とか出てなかったし、競技としてもう一回ちゃんとやりたいなーとちょくちょく思っていた。そんな折、同じ大学院の友達がヴァイスにはまってて「お前もやんね?」みたいなこと言ってきて、ヴァイスは全然興味なかったので「マジックやんね?」と逆に誘い返してスタート。
正確には2011年の9月にはMtG復帰してて、安いからという理由で黒緑感染を作り、わくわくのFNMにも何回か顔を出していた。ちなみに復帰して最初の(公式戦の)相手はめそさんで、ケッシグ(どっせい)で、確か夜明けのレインジャーにボコボコにされた記憶がある。
で、研究活動の云々で2~3ヶ月マジックしないで、闇の隆盛発売あたりから本格的に再スタートした。黒白っていう組み合わせが好きだったので、色々カードを買ってトークンデッキを作った。初めてCCCに参加したのもこの頃、以前は参加すらしなかった6回戦のスイスラウンドに初めて挑戦して、4-2で勝ち越せたのが凄くうれしかった。ドラフトをやったのもこの頃で、高校生の頃はやっても2~3人とかだったのでドラフトをやったのも初めてだったので、新鮮だった。0-3だったけど。
冬の間はまだ一緒にマジック始めた大学院生仲間がいたので、基本的には仲間内で4~5人で集まって徹夜でスタンデッキ回したり5ドラしたり、ルール良く分からないまま雑なEDHデッキ作って遊んだりしてた。内向きな遊び方だったけど、今とはまた違う楽しみがあったように思う。
■春 カントクに声をかける
4月になってそれまで一緒に遊んでた仲間が一斉に就職で筑波を去ってしまったので、博士課程に進む自分がマジックをやる機会が減ってしまった。まあ、一人で土浦までチャリ漕いでFNMに参加してたりはしてたけど。
で、偶々さくらにカード漁りに行った時、同じく偶々カード漁りに来ていたなんか作業着姿の坊主頭っぽい人と会った。CCCには出てたし、筑波界隈にどうもマジックで集まるグループがあるらしいことは分かってて、FNM行った時に必ずというほどこの作業着の人は来てて、何かグループが集まるとき中心にいる感じの人っぽそうだったので、声を掛けてみることにした。ちなみにその時危険なマイアが欲しくて、「ドラフトでいっぱい取ったからあげるよ」という会話をしたけど、危険なマイアはまだ貰っていない(もういらないけど)
そこらへんからCCCの定例会にも顔を出すようになっていった。就職組がいなくなったら折角はじめたマジックの機会が無くなるかなーと杞憂してたので、筑波に定期的にプレイできる環境があって本当に良かったと思う。
そういえば、この頃からGP横浜があるということでモダンもやり始めた。エクテンはやっていなかったし、カードプールの広い環境で、自分がマジックやっていなかったときのカードが使えるというのは中々面白かった。エムラクールの怪獣っぷりが好きだったので、緑単「歯と爪」トロンを作り、初めてのPTQなどにも参加した。
■夏 GP横浜からの酒飲みや土浦観光 M13ドラフト修羅の道
GP横浜には上のトロンで、カントクやめそさんらと一緒に参加した。昔やってたときには勿論GPなんて行かなかったから、最初その人の多さに面食らった。1500超ってそんなにマジックプレイヤー集まるのかよ、って感じだった。あと、部活やってたときにも同じようなことあったけど、デカイ大会会場で雑誌とかカバレッジに載る様なビッグプレイヤーを生で見たときにちょっとミーハーな気分を味わったりもした。
1日目が終わって飲み会。MtG勢と酒飲んだことが無かったので、どういう感じで飲むのか分かんなくて、何となく「どちらかといえば大人しい飲み方すんのかなー」と思ってたけどそんなことはなかった。部活引退して2年経ってたけど、久しぶりに「目的を共通とした仲間と遠征して、一暴れ(?)したあと馬鹿騒ぎする」っていうのが出来て凄く楽しかった。
あと、2日目のシールドで欲しくも無かったグヌーヌの才能が開花してしまった。そしてその瞬間をカントクに真後ろから直に見られるというね・・・。あそこらへんから自分のマジックのもう一つの道が始まったように思う。そう、ライブラリとの仁義無き戦いが。あの屈辱は3月の横浜で必ず返す。
GP終わった後も、仕事場から「暑い。溶けそう。 → \3,500?」とかメール送ってくるカントクに誘われて酒飲みに行ったりした。飲み会は大学の研究室でも行くし、そっちももちろん楽しいけど、マジック勢との飲み会はそれとはまた違うノリ・話題が出来て新鮮だった。
8月のノルウェー出張では、8/4の正午にノルウェーから12時間かけて成田に帰ってきて、速攻で家帰ってその足で土浦での飲み会に参加し、さらに二次会(ラ○パ○)さらに三次会まで行くというぶっ飛び具合だった。ここらへんで僕は完全におっさんグループにカテゴライズされてしまいましたorz まだ24なのに。
夏はもう一つ、M13のドラフトをやりまくったというのも大きな思い出。ドラフトが楽しくなって、M13はリミテ初心者がやるのに最適な良セットだということだったので、とにかくやれるだけ数をこなした。結局出張やら免許やらで時間をとられて20回くらいしか出来ず、かつ0-3、1-2で負けまくったけど。でも、やれるだけはやったし、アヴァシンドラフトをやっていた時よりも大分経験を積んで腕は上がったと思う。思いたい。(その割には今でも馬鹿みたいなポカミス、構築ミスするけどね)
ここらへんで僕、カントク、じんちく、めそさん、kitesailの遊び面子が固定され、saishi邸ドラフトが定例化した。
■秋 抹消者さん有難う
ファイレクシアの抹消者/Phyrexian Obliterator
マジックを再開した理由の全て。このカードを見たからこそもう一度本格的にマジックをやろうと思った。そんな一枚。
8月から9月、特に8月の中旬までは、PWPを400まで上げて次のGPの1BYEを獲得するというのを目標に大会に参加していた。デッキは赤黒ゾンビ。春頃からずっと、スタンのデッキは「どういうデッキ構成が抹消者を使うのに一番適しているのか」ということを第一として作ってきた(そして最終的に落ち着いたのが赤黒ゾンビ)。まあ、その頃のレシピを見ると抹消者メインじゃなくてサイドじゃんとか突っ込む余地があるけど、それにも一応理由(言い訳?)はある。
要は「抹消者が場に出て強かったからゲームに勝った」というのが僕は好きで、逆に「場には出たけどあまり強くなくてゲームにも負けて、ほかのカードだったら・・・」という状況になるのが嫌いだ、ということ。あとメインに入れててサイドに抜くというプレイも嫌い。だったら、抹消者が強くなる相手に対してサイドインして、それを叩き付けて最終的に「試合」に勝利するというのが一番スマートでカッコいい使い方なんじゃないかと思った。(まあ、メインで抹消者を軸としたデッキが作れていればよかったけど、そこは自分の構築力の無さがあった。今その試みはレガシーでしている。)
で、そうやってデッキを作っていった結果、PWCであったPTQ、勝ち越しのかかった最終戦で赤緑ケッシグ相手にサイドインした抹消者が無双して勝ったり、福岡のPTQに出て、デルバーメタではなくケッシグや当時のナヤアグロが跋扈してる環境でそれら相手に同じく抹消者が無双して、最終的に自分に400ptを与えてくれた。ああやってゲーム勝ったときほど、復帰してよかったと思ったことはない。
最後にはあかつき杯で黒単ムチムチビートを組んで、好きなだけ暴れさせてから抹消者はスタン落ちしていった。そしてその後すぐにレガシーのデッキを組んだ。今度は抹消者をメインに入れて勝つデッキを作るため。・・・でも未だに公式戦で1勝出来ていない。来年こそはレガシーで勝ちたい。
-----------------------------------------------------------------
今年はこんな感じかな。あとはGP名古屋とかの話もあるけど、それは直近のDNに記録があるから別に改めて書かなくていいや。
何かマジック復帰した最初の1年としては、大分のめり込んだなーという感じ。でもやっぱり経験が少ないし、残念ながら僕はグヌーヌということで戦績的には負け越してしまったのが多い。特にリミテ。
兎にも角にもマジックは勝ってなんぼ!
ということで、来年は今年よりもトーナメント思考で、デカイ大会に積極的に出て勝ちを増やしていきたい。
コメント
とりあえずCCCも念頭に入れておきます^^
プリティーマイアはガチで忘れてたー (^ε^)テヘペロ