忙しい人のための特撮怪獣映画概論その④【誰得】
その③に入り切らなかったので最後だけ分割。

「ゴジラVSメデストロイア(1995)」
これがゴジラの最後の戦いになるかもしれない
≪基本データ≫
1995(平成7)年12月9日 公開
配給:東宝
観客動員数:400万人
製作:田中友幸、富山省吾
脚本:大森一樹
音楽監督:伊福部昭
特技監督:川北紘一
監督:大河原孝夫
協力:
<防衛庁>
[長官官房広報課]
[陸上自衛隊]
陸上幕僚監部
東部方面総監部
富士学校
富士教導団
滝ヶ原駐屯地業務隊
[海上自衛隊]
海上幕僚監部

≪ストーリー≫
1996年、バース島が消滅し、ゴジラとリトルゴジラが姿を消した。1か月後、香港に出現したゴジラは従来と違い赤く発光し、赤い熱線を吐きながら香港の町を蹂躙していった。バース島消滅は、その地下の高純度の天然ウランが熱水に反応した結果の爆発であり、その影響を受け体内炉心の核エネルギーが不安定になったゴジラは、いつ核爆発を起こしてもおかしくない状態であった。

同じ頃、東京湾横断道路の工事現場で工事用パイプが溶解するトラブルが相次いで発生。しながわ水族館では魚が突然水に喰われる様に白骨化する怪事件が起きる。その原因は、かつてオキシジェン・デストロイヤーを使用してゴジラを死滅させたとき、海底に眠っていた古生代の微小生命体が無酸素環境下で復活し、異常進化を遂げた恐るべき生物・デストロイアであった。デストロイアは急速に巨大化し、人間大の大きさとなって警視庁の特殊部隊SUMPを襲い、更には自衛隊の攻撃に対して集合・合体し、40メートルの成長体と化して破壊の限りを尽くす。

御前崎沖に、ゴジラより小さい、ゴジラジュニアと呼ぶべき怪獣が出現した。それは行方不明となっていたリトルゴジラが、天然ウランの影響を受け成長した姿であった。バース島を失ったゴジラジュニアは、自らの故郷であるアドノア島へ帰ろうとしていたのだった。

ゴジラは、四国電力・伊方発電所を襲撃しようとした際にスーパーXIIIの放ったカドミウム弾を受け、体内の核分裂が制御され始めたため、核爆発の危機を免れる。しかし、今度は体内炉心の温度が1200度に達した時にメルトダウンが発生することが判明。地球が灼熱の星と化してしまう危機が訪れる。もはやゴジラを倒せるのは、オキシジェン・デストロイヤー=デストロイアしかいない。ゴジラとデストロイアを戦わせるため、ゴジラジュニアを囮としてデストロイアに向かわせる作戦が提案される。 こうしてゴジラの最終決戦が始まろうとしていた。

≪総論・見どころ≫
「ゴジラ死す」と銘打たれた、平成ゴジラシリーズの総決算にして、40年以上・22作以上もの作品を紡ぎ続けたゴジラ映画の終着点。特撮怪獣映画概論はこの「ゴジラVSデストロイア」の紹介で最後となるが、本作は、長い長い歴史を持つゴジラ映画の威厳ある最終作として(ミレニアムシリーズはファン映画なので除く)、そしてまた本エッセイの最後を飾る作品として最も適切であると自分は考える。そういって差し支えないほど、本作にはこれまで自分が拙い文章力で伝えてこようとしてきた「怪獣映画の魅力・ロマン」が全て内包されているのである。確かに災害パニックのシュミレーションとしてのリアリティには(平成ゴジラシリーズのご多分に漏れず)少々欠ける点があることは否めず、その点においてはガメラ2やゴジラVSビオランテなどに劣るのは確かである。が、その他の、例えば群体をなし人間その他全てのものを溶解しながら進撃するまさに殺戮の権化たる「デストロイア」という怪獣の設定・造型やその脅威が本格的に明るみに出るまでのホラー的演出は昭和初期から久しく失われた怪獣表現に近いものがあるし、電飾により100kgを超えたスーツや炭酸ガスの噴出というスーツアクターにとって地獄ともいえる装飾によって表現されたバーニングゴジラにはよもやCGなどでは表現できない実在感・重量感が伴っている。こういった怪獣表現以外にも、忠実に再現された有明臨海副都心のミニチュアセット上で繰り広げられる「川北演出」の極致ともいえる爆発・破壊演出、何より「自分がお産婆さんをやったから、最後も看取る責任も感じまして」といって本作の劇中音楽を担当された伊福部昭氏の魂の籠った重低音溢れるサウンドなど、あげれば枚挙に暇がないほど、他作品と比べても圧倒的といえるような演出が詰まりに詰まっている。それもこれも、ゴジラという怪獣の最期を作り上げるため、特撮映画製作スタッフの技術の総決算と執念が集積した結果であろう。

東宝特撮映画の全てをつぎ込んで製作された本作の魅力はとても文字だけでは語りつくせないが、一つだけ、この作品から強く感じられる「ロマン」について語るならば、それは「ゴジラという生物の、自身の命の終わりが近づこうと最後の最後まで死力を尽くし戦う、怪獣王として威風堂々たる有様を見事に描き切った」ということになるだろう。劇中にて心臓部ともいえる原子炉が暴走し、生命としての限界を迎えつつあるゴジラは、最後の闘いとして、40数年前に自身の同胞を屠った最終兵器「オキシジェン・デストロイアー」の落とし子ともいえるデストロイアと、生死の限界すら超えた死闘を繰り広げることになる。前々作VSメカゴジラおよび前作VSスペースゴジラにおいて、同族ベビー(リトル)ゴジラのために戦ってきたゴジラであるが、今作においても、ゴジラの闘いの理由はベビー・リトルの成長した姿であるゴジラジュニアに起因するところが大きい。しかしながら、今作のゴジラにとってデストロイアとの戦いはこれまでのような「何かを守るための」闘いではなく、同族を殺された敵討ち、憎き外敵を「殺しつくす」ための闘いである。自身の最後の仲間であるゴジラジュニアを無残にも殺害されたゴジラは、命の危険も顧みず、燃え上がるような怒りに身を任せ、溢れ出るエネルギーで周囲を焼き尽くしながらデストロイアに襲いかかる。かつてここまでゴジラが「ブチ切れた」ことはないだろう、初代ゴジラを葬ったオキシジェン・デストロイアーの恐るべき力さえ意に介さず、完全生命体のはずのデストロイアが死に怯えるほどの劫火を、鬼の形相で殺意をむき出しにしながら発するゴジラ。一連の平成ゴジラシリーズにて「生物」としての側面を数多く描写されてきたゴジラであるが、最終作にして、この怪獣の本質が「燃え上がるような怒り」と「いかなるものにも超えることのできない圧倒的な力」にあることを、我々に見せつけてくれるのである。瀕死の重傷を負った仲間の無残な姿に涙し、その残り僅かな命を慈しむ一方、自らが死の際に立ちながらも決して強敵に退くことはなく、殺すべき相手を強大な力をもって蹂躙する。そんな、怪獣王ゴジラのもつ魅力のひとつひとつが、消え入る瞬間最大に燃え上がる蝋燭の炎のように強烈に銀幕に映し出されていき、闘いを終えたゴジラは静かに眠りにつくのである。人間の業によって生み出されながらも、一生命体として圧倒的なまでに生を謳歌した怪獣、ゴジラ。本作を見る人ならば、恐らく少なくない数のゴジラ映画に触れ、それぞれがそれぞれにゴジラという怪獣に対し愛着や憧憬、畏怖といった様々な感情を持ち合わせていることだろう。そのような人たちには、ここで挙げたように自分の定義する「ロマン」についてつらつらと語るのもおこがましいことではないか、とも思う。ぜひ、特撮怪獣映画鑑賞の締めとして、個人の思うままにゴジラという怪獣の最期を看取ってあげてほしいと思う。

以下見どころ

・全て
これについてはもう書く必要がない。OPからEDまで、すべてが見どころである。ご賞味あれ



References
【怪獣wiki特撮大百科事典 http://wiki.livedoor.jp/ebatan/
【Wikipedia】
【 自衛隊イラク派遣5:若者照準、映画に協力 http://www.asahi.com/special/jieitai/kiro/040323.html
【ゴジラ-特撮SIGHT http://www.k5.dion.ne.jp/~god-sf/index.html
【みんなのシネマレビュー http://www.jtnews.jp/index.html
【日本の軍事=安保環境と巨大怪獣映画 http://blog.goo.ne.jp/weltstadt_16c/e/7c08edf7a098cf3f2436c1d96f55b3c9
【平成ガメラ Blu-Ray BOX 映像特典~15年目の証言~】
【Godzilla and Other Assorted Fantastic Monsters http://godzilla.open-g.com/
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